扇動多くして
宗教というのは、つまり扇動だ。
あるひとつのかんがえを宣伝し、人々をまとめ、行動をうながす。
こう書いてみると、通常宗教とは区別されている「思想」も同じものであることがわかる。このふたつがときとして相手を攻撃するのは、いわば内紛だ。
もちろんわたしもこの扇動の影響を多分にうけている。
たとえば聖書に、
最後にのこるのは信仰と希望と愛です。
そのなかで一番大事なのは愛です。
などといわれるとグッとくるし、カール君に、
大事なのは社会を解釈することではない。
変革することだ。
などと見栄を切られると恐れいってしまう。
おもしろいと思うのが、宗教にしろ思想にしろ、現在隆盛をほこっているほとんどのものがユダヤ人の「扇動者」とかかわりをもつことだ。
モーゼしかり、キリストしかり、格はおちるかもしれないが、フロイトやマルクスもそうだろう。
そういう人が千年に一度くらい出現し、それまでの考えかたをガラッと変えてしまう。
どうも変革と扇動はユダヤ人のお家芸らしい。一見保守的なユダヤ人の不思議なところだと思う(妄想かも)のだが、このあたりのことを説明した本はないだろうか。