五百字哲学をめざして
「正字正かなグループ」内の日記に自己紹介を書いた。
その中で、本欄のことを「五百文字哲学をめざしたボヤキ」と紹介したのだが、書きながら、「そういえばわたしはここで哲学を語りたかったのだ」と思いだした。
思いだしたが運のつき。やらねばなるまい。
しかしそも哲学とはなんぞや。
ギリシャ語でフィロソフィ、「知を愛する」というらしいが、哲学者の話などを読むと、彼らは知ることよりも思索を重んじているように思える。ひょっとしたら、「ソフィア」は「知識」というよりも「叡智」(字合ってますか?)に近いことばなのかもしれない。よく「ソフィア」という女性名を「知子さん」なんていうが、あれは「智子さん」の方がいいのか。
いやいや。話が発散しつつある。哲学の目的が知りたかったのだ。
友人に哲学者がいればちょいと聞いてみるのだが、あいにくそんなもちあわせはない。大学の哲学科には哲学者がいるのだろうか。いや。神学部に神様がいないのと同様かもしれない。
そもそも私はなにを哲学として書きたかったのか。
…でなおしてきます。