コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

精子的思考、卵子的思考

ある女性と「わたしは運がいい」という話をしていた。宝くじの末等以外に当たった経験や人とのよきであいについて話し、
「そもそも三億の精子の中からえらばれたんだからね。あ、きみもそうか」
と言うと、ポカンとしている。
「あれ、考えたことない? 自分は受精の瞬間にえらばれたんだって」
「ない。だって、どんな精子がきたって、自分は自分じゃない」
あっ。わたしは「えらばれる精子」の立場からかんがえているのに対し、彼女は「まっている卵子」の立場で発言しているのだ。目からうろこがおちた。
これはやはり、生殖のしくみを学んだときにどちらの立場で受けとめるかが男女でちがうということだろうか。
小説などを読んだとき、同性の登場人物に感情移入するのはあたりまえのことで、すんなりと理解できる。しかし、これには虚をつかれた。
自分が精子に感情移入していたのはジェンダーに引きずられた思いこみだったのか。人間の性決定遺伝子は精子がもつため、女性も同様に考えていると信じていたのだが。
そのあと、いろいろな人に聞いてみた、といいたいところだが、ちょっと聞きにくくてはたせず。
だれか教えてください。