コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

命名と人名用漢字

青空文庫のブログで人名用漢字増加に関する議論が続いている。
コンピュータの発達していない時代に制定された漢字の制限などにいまさら意味はないとおもうのだが、「命名の漢字もかなづかいも制限すべし」などという人もいて、なかなか興味深い。
おもしろいのは、議論に参加している人がみな「命名には常用漢字人名用漢字しか使ってはいけない」とおもいこんでいることである。
名前など親が勝手につければよいのだ。別に漢字制限を気にする必要はないし、なんならアラビア語の名前をつけたっていい。アラビア系日本人ならそうするだろう。
戸籍はどうするのか。そんなもの、受理されそうな適当な名前を登録しておけばよいのだ。戸籍に登録した名前が本名になるなどと考えるのは一種の奴隷根性である。
そもそも、命名があって戸籍があるのだ。それならば、行政はできるだけ多様な名前を受け付けられるように努力すべきだろう。ある種の名前を受け付けできないというのは行政の怠慢である。今回の改正でも、別に命名するがわへのサービスが向上したという印象はなく、かえって混乱が深まっただけのようにみえる。
これだけ迷走をしている国語政策にわれわれの命名がふりまわされる必要はない。行政はあっさりみすてて好きな名前をつけるべし。