コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

たぶん一番短い血液型占い批判

小川洋子著「博士の愛した数式」、おもしろかった。そのうちレビュー書きます。
事故で脳に損傷を受け、八十分以上前のことはすべて忘れてしまう老数学博士が、証明はなにより美しくなければならないなどと語るのを読んでいるうちに、突然血液型占い(「性格判断」なんておこがましい。「占い」で充分です)があてにならないことの証明を思いつきました。
以下記します。

大前提: 性格は遺伝する

これはまずまちがいないことでしょう。最近の研究では、遺伝が性格に果たす役割は非常に重要だということがわかっています。というか、どうも性格のほとんどの部分が遺伝的要因で決定されているといっても過言ではないらしい。
これ、わたしが若いころに教科書に書いてあった、「人間はタブラ・ラサ(白紙)の状態で生まれてくる」という記述と真っ向から対立しますね。
いうまでもなく教科書のほうが間違いです。
「人間は生後の環境によってなんにでもなれる」というのは、多分に共産主義的バイアスがかかった(「ルイセンコ」で検索してみてください)時代の迷信だったわけです。

証明は短いつもりだったのに、

余談ながすぎ。それではここらで、
閑話休題

補足です

今回話題にしているのは、300種類以上あるといわれている血液型分類法のなかで、ABO式といわれているものです。
ではつづけます。

遺伝子は両親からうけつぐ

生物の遺伝子は親からうけつぎます。正確を期そうとすれば、遺伝子をコピーする際のエラーについても考えなければいけませんが、ここでは大ざっぱに遺伝子は親のコピーをうけつぐとしておきましょう。
人間の場合、遺伝子は両親から半分ずつもらうことになります。
つまり、性格の材料は両親由来だというわけです。
ここまで、よろしいですか?

大前提その2: 血液型はメンデルの法則で遺伝する。

血液型を決める遺伝子には、ABOの三種類があります。
これらの遺伝子がセットされる場所(座)はふたつです。3つのものが2つの場所に陣取るわけですから、場合の数は3×3で9通りありますが、この座は交換可能、つまり順番は関係なく、どちらにセットされても同じなので、たとえばAOとOAは同じ組み合わせとなります。
こういう組み合わせは、

  • AOとOA
  • ABとBA
  • BOとOB

の3通りです。
この重複をひくと、場合の数は9-3=6通りとなります。
さて、それぞれの組み合わせに対応する血液型は次の通りです。

  • AA→A型
  • AB→AB型
  • AO→A型
  • BB→B型
  • BO→B型
  • OO→O型

O型が損してるみたいですね。
まああんまり気にせずに。簡単にいうと、O型の遺伝子は抗原を作らない(なにもしないためゼロ→0→O型と呼ばれる)という性質を持っているので、AやBの遺伝子と組み合わせると、A抗原やB抗原が作られ、血液型としてはA型やB型となってしまうわけです。
余談ですが、わたしはAOのA型です。

血液型を決定する遺伝子は両親からひとつづつうけとります。

たとえば、片方の血液型がABである場合、子供にはAかB、どちらかの遺伝子があたえられます。どちらになるかは神のみぞ知る、です。
あまったもうひとつの座には、もう一方の親から、これまた半分の遺伝子を分けてもらい、できあがったくみあわせによって血液型が決まるというわけです。
ここまで、いいですか?

さて証明です。背理法でまいりましょう。

血液型占いが正しいと仮定します。つまり、ABO式の血液型と性格のあいだには相関関係があり、観察によってあきらかに判別できるとします。
そして、ここにある夫婦がいるとします。片方の血液型はAAのA型、もう一方はBBのB型です。この両親にできた子供の血液型はみなAB型となります。
なんと、子供たちは両親とまったく違う性格をもつようになるのです。
さらに、もしとなりに住んでいるおじさんの血液型がABならば、子供たちの性格は両親とは関係ないかわりに、そのおじさんに似ていることになります。
これはあきらかな矛盾です。

仮定と大前提、

どちらが誤っているのでしょうか。
はい。当然仮定の方です。
大前提が誤っており、性格は血液型によっておもに決定されるという結論は、われわれのつね日ごろの観察といちじるしく異なります。

結論

血液型に関係のある遺伝子は、あくまで血液型(赤血球の免疫の型)を決定するのみで、性格の決定にはまったくといってよいほど影響は与えていないのです。
しいていうならば、ものごころついてから他人にきかされる「××ちゃんは×型だからこういう性格」というような決めつけの方がより人格形成に大きくかつ深刻な影響をあたえていることでしょう。

Q.E.D.

証明オワリ。
お疲れさまでした。おやすみなさい。
(注)本日の文章もケータイでうちました。