トイレから社会をみる
品川のアイリッシュパブでしこたまギネスを飲んだ。
自然にみちびかれ、同じビルの中にあるトイレに入ると、なにか変である。
小用の便器*1がないのだ。
三秒ほど頭に空白ができたが、「どうやら男性用と女性用をまちがえたらしい」と気づき、あわてて飛びだした。
反対側をみると、一人の女性が男性用トイレのドアの前にたたずんでおり、私に告げた。
「こっちみたいですよ」
「…そのようですね。失礼」
結構臨界点に近づいていたわたしは、いそいでそちらにとびこみ、事なきをえた。
まちがえた理由
やっと人間に戻った心地がしてから、あやまりの原因をさぐるため、ふたつのトイレのドアをくらべてみた。よくみると*2、女性用も男性用も、表示の色が同じ、グレイとなっている。普通は、男性用が寒色系、女性用が暖色系となっているものだが、これはひょっとして、ジェンダーフリーに対応した表示なのか。
ジェンダーフリーのあさはかさ
そうだとしたら*3、なんともアホなことである。
だれも、男女平等を推進するためにトイレにいくわけではない。用をたすためにいくのだ。そして、トイレは男女別になっているほうが都合がよいし、そのためには、どちら用のトイレかをひとめでみわけられる表示のほうがいいに決まっている。
大体、なぜスカートをはいたほうが女性のマークなのだ。それこそ、ジェンダーに引きずられた思いこみだろう。花森安治は女子トイレに入らなきゃならないのか*4。性別の表示が英語なのも気にいらない。なんとかフリーに気がねして、分かりやすいシンボルを使わないと決めたのなら、大きく日本語で「男性用便所」、「女性用便所」と書いておけばよかろう。いっそ、トイレを性別にわけるのはジェンダーに引きずられた思いこみだとして、トイレを一緒にしてみては。もちろん、そうなったら私はテロリストとなって断固たたかう。
そうなっているのには理由がある。
世のなかのあることがらが現在の状態になっているのには理由がある。
その理由はたいてい、
- 各人にもたらされる恩恵のバランスがとれていること。
- かかるコストともたらされる恩恵のバランスがとれていること。
である。
ながい時間をかけて構築され、たもたれたしくみは、それこそ様々な利害のバランスの調整の結果できたものであり、うまくできているものだ。
それを頭のなかだけの正義で断罪するやからには辟易する。
そして、そういうものたちに限って、自分では改革でふえるコストの負担などしないのだ。
いろいろ書いてきましたが、
やはりこれは「酔っぱらってトイレをまちがえたいいわけ」にしか聞こえませんか。
そうですか*5。