「檄を飛ばす」、「憮然」、「姑息」
とりあえず最近ネットでみた話題から。
- 「檄」「姑息」「憮然」意味取り違え7割…文化庁調査(YOMIURI ON-LINE)
(文化庁の日本語世論調査 はてなの茶碗(舩木さん)経由)
これ、「檄を飛ばす」は知っていましたが、「姑息」、「憮然」は意味をとり違えていました。
つまり、わたしのなかでも約七割が意味をとり違えていたわけです。集団と個人は比例関係にある。いや気どっている場合か。もうすこしみてみましょう。
「檄を飛ばす」を広辞苑(第四版)で調べてみましょう。
- 檄を飛ばす
- 考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める。また、元気のない者に刺激を与えて活気づける。
「また」以下は原義からはなれていて、あとで付けくわえたものでしょうね。これでは最初からこの語義があるようです。「最近では『〜』の意味としても使われる」と書くとか、せめて(1)、(2)と番号をわけ、「語源に近いほうから記述する」という、普通の辞書ならあたりまえにやっていることぐらい、できなかったものでしょうかねえ。広辞苑の悪辣なところです。
では「憮然」はどうでしょう。
- ぶ‐ぜん【憮然】
- (1)失望してぼんやりするさま。失望や不満でむなしくやりきれない思いでいるさま。「―たる表情」
(2)あやしみ驚くさま。
これを「失望してぼんやりするさま」ではなく、「腹を立てている様子」と回答(選択したのでしょう)した人が七割だということですが、「失望や不満でむなしくやりきれない思いでいるさま」という、現在の用法に近い語義ではなく、用例の少なそうな語釈だけを問題に出して「わーいまちがってるまちがってる」というのは、どこかのくだらないテレビ番組ならともかく、文化庁のやることですか? 税金返しなさい。
それでは、「憮然」はほんとうに「失望してぼんやりするさま」なんでしょうか。ついでに漢語林(新版 - 大修館書店)も調べてみました。
- 「憮」の項(p423)(4)
- 憮然は、(ア)失意のさま。がっかりするさま。しょんぼりするさま。(イ)あやしみ驚くさま。
これだったら納得でしょう。「ぼんやり」なんて出てきませんよ。大体、「失望してぼんやりする」人なんて、いるんですか。
これは広辞苑(あるいは広辞苑がひきうつした辞書)の、「憮然」という項目を書いた人の言葉のセンスに問題があるのです。文化庁はそれになんの疑問もいだかずに「これは間違いやすそうだから問題にしよう」と出題したわけです。要するにセコイ馬鹿です。セコ馬鹿です。
ちなみに、広辞苑よりまともな辞書だと定評のある大辞林もみてみましょう、
「ぼんやり」なんて出てきませんよ。むしろ、「不満だった結果、腹をたてている」という感じの語義のほうが目につくでしょう。
たとえば、「憮然たる表情でかたった」という用法をよくみます。これを「ぼんやりとかたった」という意味に取る人はいないのではないでしょうか。
要するに、文化庁の調査のほうがズレてるんです。それをなんのチェックもせずに新聞は話題だけでまる写ししているわけです。
「文化」をアレコレしているはずの文化庁が低俗テレビのバラエティ番組なみのアンケートをおこなう。そして、量でいえば、日本語の文章を一番生産している新聞がそれをそのままたれながす。それで国語がよくなるんだったら苦労しませんなあ。
姑息もしらべておきましょう。まずは広辞苑で。
- こ‐そく【姑息】
- (「姑」はしばらくの意) 一時のまにあわせ。その場のがれ。「―な手段」「因循―」
次は大辞林で。
いやこれはまじめにとりちがえていました。「姑息な手段」ならセーフだけど、ひょっとしたらどこかで「姑息な人間」なんて書いてるかも。ちとはずかしな。