在ることと信じること
唐突でもうしわけないが、神は存在する。
いや別に神がかりになっているわけでも、なにかに入信したわけでもない。今までにいろいろな機会はあったのだが、残念ながら造物主やそれにちかい存在を信じるにはいたっていない。
「神は存在する」というのは、例のヤマト運輸の小倉さんの自伝を読んでおもったことである。
小倉さんは若いころ結核にかかり、絶対安静の数年間を余儀なくされた。人生で一番パワフルであるはずの時期に死病におかされ、寝台から起きあがるのもはばかられる数年間をすごした小倉さんは、やがて「神に生かされている自分」を発見し、救世軍に入信*1。そして、信仰をささえにかずかずの活躍をする。
発病後の小倉さんにとっては、たしかに神は存在するのであり、それに疑念をさしはさむことはできない。
存在とは人に認識されることであり、認識され命名もされているものは存在しているとしかいいようがないのだ*2。
残念なのは、わたしが信じているのは「偶然の配剤とユーモア」で、偉業とは関係なさそうなことである。