コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

原始、笑ひは攻撃であつた

「そもそも」を考えるのがすきだ。今日は笑いについて考えてみる。
笑いは人間にしかない高等な精神作用だという。
本当にそうだろうか。
あくまでもわたしの印象だが、人間に固有の能力といわれているものは、ただ単に動物一般がもっている機能の拡張あるいは応用にすぎない。さもなければ、自然は人間のためだけにその機能を創造したことになるが、これはよほどの事情がないかぎり考えられない。自然はやりくり上手のなまけものなのだ。
では笑いはどの機能の拡張かというと、攻撃、あるいは、いかり、だと思う。
笑っている顔を思いうかべてほしい。口を大きくあけ、歯をむきだし、さらに大声まであげている。まさに攻撃の表情である。
もうひとつの証拠として、笑いと攻撃が排他的な機能であることがあげられる。泣き笑いは普通の人でもできるが、笑いながらおこれるのは世界で竹中直人ただひとりである。
ものの存在には理由がある。ではなんのために攻撃性が怒りだけでなく笑いにもかわる必要があったかというと、それは共同体に発生した攻撃性を方向転換し、昇華させるためだろう。笑いは攻撃性のラジエーターなのだ。文字数切れ。考察はまた。