コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

すべての笑いは内輪うけである。

まえに笑いは「共同体内の連帯をふかめ、攻撃を無害化し、そとにむけるための道具だ」と書いた。それと関連して「内輪うけ」の話を。
万人むけの笑いというものは、ありそうで存在しない。笑いにはかならず「笑うがわ」と「笑われるがわ」が存在している(もちろん、自分が自分を笑うということもあるが、それは自分が両方をかねているとかんがえる)。万人むきの笑いというのは、すべての人間が「笑うがわ」にはいれる笑いである。定義だけみてみても、存在しそうにない。
つまり笑いは理解者を選択し、うちとそとをきっぱり区別する道具でもある。だから、共同体の結束をつよめる力のつよい笑いは、当然よくうけるということになる。要するに内輪うけであればあるほどおもしろいのだ。本日の結論。
それでは、わがサイトの笑いはどうだろうか。
いや、これはどうしても、インターネットで公開している関係から、無理としりつつ「万人むけ」をめざさざるをえないのだ。だから必然的に爆発力も小さくなる。
もしわたしのサイトにあるギャグが一見つまらなくとも、わたしにユーモアがないということではない。これが第二の結論です。あしからず。

画像

丸ビル。

ちょいと修正

PCからいいまわしだけ。