コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

灯台もと暗し

会社でアメリカ国歌について話していた。
「大昔に英会話の先生に聞いたんだけどさ、アメリカの国歌にはふたつしか文章がないんだって*1
「へぇ」
「それでね、そのふたつとも疑問文なんだって」
「へぇ」
「たしか、「われわれのあの旗はまだあの丘の上にひるがえっているか」というような内容だったよ」
そこまでしゃべって気がついた。日本の国歌の文はたったひとつだ。しかも動詞がない。「(巌と)なり」や「(苔の)むす」はあるが、肝心の主文に「千代に八千代に」どうしたいのかが語られていないのだ。
もちろんこういう叙述は「つづいてほしい」という願望なのだとわかっているのだからこれでいいのだが、肝心なことをいわずに周辺のことをにおわせてわかってもらおうという「日本人的な」感覚が国歌からもみてとれるところがおもしろいなと思った次第。
なんちゃって。
わたしの観察によれば、よくもわるくも「日本人に特有」といわれる性質のほとんどは他地域の人々もちゃんともっているのだ。
たぶんよその地域では、別のかたちの「あとは察して」があるのだろうな。

*1:ここら辺、ウラをとっていません。ご存じの方教えてください。