コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

われわれが立つ「現在」の下に埋まっているもの、あるいは、"One is too many."

十一月二十日、友人の結婚披露宴のため山口県は徳山へ。
広島空港から広島駅に移動。時間があいたため、市電で平和記念公園へ。

原爆ドーム

保全処理がされ、堅牢な感じもする観光地だった。平和になったなぁ、と思う。もちろん、われわれは平和をのぞみ、おもに経済面で努力し、それを達成してきたのだ。あの状態にもどりたいわけではない。しかし、「平和は理念だけでは維持できないものだ」という常識が身にしみている世代がもう絶滅寸前であることが不安でもある。
治にいて乱を忘れぬことのむづかしさを思う。

平和記念資料館

夕凪の街 桜の国』には、展示をみた東子ちゃんが吐いてしまうシーンがあった。こわごわ入っていく。
内部には、目をそむけたくなる展示もあったが、総じて資料として提示しようという抑制があった。最初からそうだったのか、変わってきたのかは不明。わたし自身の考えかただって昔とはちがう。資料をみるこちらも考えなければ、と思う。
しかし見学後、夕凪の街を歩きながらくりかえしつぶやいていたのは、ごく単純なことばだった。
「一発でも多すぎる。それを、二発も落とすこと、ないじゃないか…」