コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

なにがおもしろくてこどもに英語をならわせるのだ。

なるべく早いうちに英語教育をはじめなければならないらしい。本当か。
保育園にかよっていたころだからもう三十六年も前のことか。おえかきの時間に変な記号を書きはじめた女の子がいた。
それはアルファベットで、鳥の絵の余白に脈絡なくABC…、と書いていたようだ。いまおもえば、その子は幼児英才教育で英語をならっていたのだろう。ひらがなやカタカナもおぼえたてだったわたしは、異次元生物をみるような不気味さと、ある種のいやらしさを感じたのをおぼえている。
一体、幼児に英語を教えることに意味はあるのだろうか。幼少のころから英語にふれれば英語が身につくのか。まさか。つねに日本語にふれているわれわれは日本語が得意だろうか。
日本語であれ外国語であれ、ある程度以上のレベルに達するには「覚悟と努力と継続」が必要だ。覚悟なしにちょっとふれた英語が身につくとはおもえないし、かえって母語と外国語ともにどっちつかずになり、使えない人間になりそうだ。
まず日本語を。あとは本人が必要を感じたときに覚悟をもってやればよい。まなぶのは支那語でもスペイン語でもよいとおもうが、なんとなく英語をえらぶのは全然国際的じゃないぞ。