コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

いけにえ

マヤ文明にはいけにえの風習があった。
記憶によると、天体の運行を円滑にするために毎日だれかが犠牲になっていたらしい。
犠牲というのは適当でないかもしれない。いけにえになるのは名誉なことだったからだ。かつてユカタン半島のマヤ遺跡をおとづれたときに古代のマヤ式サッカー場をみると、説明に「試合後には勝者の心臓が神にささげられた」とあった。みまちがいか、わたしの英語力のせいかと何度も読みなおしたが、やはりそうらしい。球技場の横には、勝者の心臓がえぐられ、そこからさまざまなものがあふれでてくる場面がきざまれた、おおきな石がおいてあった。なるほど。
聞くだに野蛮な風習だろうか。そうなのかもしれないが、わたしには判断がつきかねる。マヤはゆたかな文明だったようだが、資源は無限ではない。いけにえは名誉ある人口調整の手段だったのかもしれない。
それに、われわれだって人のことはいえないじゃないか。首都圏では毎朝のように事故のため電車がとまる。未来の考古学者が東京遺跡から鉄道事故記録を発掘したら、なんというだろうか。