俳句に一番大切なもの。(2)
昨日披露した句を推敲してみた。
東風ふかば目にしむ杉の逢瀬かな 穐穂(あきほ)
やはりダメなものはダメですね。ま、俳句ごっこはこの辺で。
「俳句に一番大切なものは切れである」と書いたが、それではなにをもって俳句が切れているといえるのだろうか。
一番わかりやすい切れはもちろん切れ字によるものだ。体言に「や」や「かな」をつけるとあら不思議、そこでちゃんと切れる。なんとなくそういうものだと思っているが、よく考えると魔法のようだ。
では名詞だけだと切れないのかというとそうではない。体言止めもかなり強い切れをもたらすし、言い切りの終止形も同様だ。
雀の子そこのけそこのけお馬が通る 一茶
この句は初五の「雀の子」で切れているが、なんとなく「そこのけそこのけ」でも切れているようだし、「お馬が通る」の終止形でも切れている。強さの順にならべると、
- 雀の子
- お馬が通る
- そこのけそこのけ
となる。作者は句読点のない俳句の間を切れの強弱で調整しながら句のひびきを作曲しているのだろう。多分無意識的に。
あ、これは私見です。理論的にそうだというものではありません。
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品川駅港南口。