コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

ユーモアは一日にしてならず

トイレで古雑誌を読んでいて、斎藤環という精神科医の文章に笑ってしまった。

二〇〇四年にアテネオリンピックが開催された際、アテネ市長が某テレビ局のインタビューに応じていた。私が最も感銘を受けたのは、「市長の趣味は?」と訊ねられたときの回答である。アテネ市長の答えは、なんと「郷土史研究」だった。この瞬間、全世界から「それ『郷土史』のスケールじゃないから!」とツッコミが入るのを私はたしかに聞いた。
(「Voice」平成18年9月号 「「エルヴィス物真似芸人」の症状」斎藤環 より)

言った市長も素敵だが、それを聞きのがさなかった斎藤環もなかなかのものだと思う(ちなみに見開き二ページの文章全体はちょっとユルかった)。
こういうエピソードに接すると、本邦の政治家にはこういうユーモアセンスはないのかと慨嘆したくなるが、それは正しくない。
実際、日本の政治家はしばしばユーモアのある発言をしているのだ(ウソだと思うヒト、「麻生太郎 秋葉原演説全文」で検索してみるヨロシ)が、それが報道でちゃんと取りあげられることがほぼ皆無なのだ。
かわりに取りあげられるのは、批判しやすい失言と、その糾弾である。実際政治家はめったに失言しないので、メディアのほうでうまく切りはりして失言にする*1
かくして政治家たちは曲解されようのない無難な発言しかしなくなる。そのあげく、今度は「日本の政治家には個性がない」などと批判されることになる。
われわれは、議員を選んでいるのも育てているのも自分たちだということをもっと自覚すべきだと思う。

画像

居酒屋「ちゃんと。」。銀座で見た。魚のハリボテがキッチュ(死語?)だ。

*1:たとえば、麻生太郎の「自称秋葉原オタクのみなさん」という呼びかけの「自称」を取って適当なコメントをつけると問題発言一丁あがりとなる。