コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

やえもんとうちゃんは、頑固だがいさぎよいのだ

先日、のんさんのブログ「文春 くしゅん」で阿川佐和子さん(ファンです)が新幹線「のぞみ」の命名者であることを知った。
当時わたしも、新型の新幹線が登場すると聞いたときには、「こだま、ひかり、ときているんだから、それよりも速い名前じゃないとダメだけど、……タキオンか。でもまさかギリシャ語名の新幹線はないよな*1」などとやじうま的な心配をしていた。決定した愛称が「のぞみ」だと知ったときには、「科学的な名前」でないことに違和感をおぼえながらも*2「なるほど、結構やるじゃん」と感心したものだ。ちなみに、他の候補は「希望」、「太陽」などであったらしい。いや「のぞみ」で本当によかった。
さらに、愛称決定の会議にのぞむ阿川佐和子さんに「一つだけ言っておく。日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた*3」と重要な助言をしたのが父の阿川弘之さんだとあり、ますます愉快に思った。
阿川弘之さんが乗りもの好きであることは佐和子さんのエッセイにくわしい。すてきな絵本『きかんしゃやえもん』の作者でもあるその人が、東海道新幹線の建設には大反対だった。『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(高橋団吉著)では、「海軍出身の作家、阿川弘之は「世に三馬鹿あり。万里の長城戦艦大和、新幹線」と批判し」(大意)などとあげつらわれていた。あはははは(でも、なんで海軍が関係するの?)。
すでに新幹線の成功を知っているわれわれには阿川弘之さんの反対論は頑迷固陋なものに思える。しかし、時代を考えればそれは十分に妥当な批判だった。
まず、そのころはもう航空輸送の時代で、鉄道はすたれていくものとみられていた。また、東京大阪間を走る世界一の弾丸特急など、戦艦大和と同様、「貧乏な娘が一着だけ豪華な振袖をもっているようなもの」で、ろくなことにならないという考えもあっただろう。そして、なんといっても二次大戦ですべてを失ってからさほど時間はたっていないときだ。海軍予備士官だった阿川弘之さんには、大言壮語したあげく国をぼろぼろにし、しかもろくな責任をとらなかったお上の愚劣さが身にしみていたはずだ。わたしが同年代の人間だったら、大いに同調していただろう。
さいわいなことに新幹線は成功した。十河・島*4コンビが作った世界一速くしかも安全な鉄道は、輸送の世界を一変させた。
阿川弘之さんは不明を恥じ、のちに機会をみつけて十河さんにあやまりにいったらしい。男だなあ。
それから何十年間、二度と鉄道行政に口をだすことはなかった老文士は、二十世紀も終わりにちかづいたある日、かつての仇敵にちょっとした贈りものをささげた。今度は自分の専門分野である言葉の世界で。しかもさりげなく。
ね、なんだか『やえもん』みたいにいい話じゃありません?

画像

日比谷公園にて。まだ三分咲きというところか。

書籍データ

きかんしゃやえもん
阿川 弘之文 / 岡部 冬彦絵
岩波書店 (1980)
通常24時間以内に発送します。

新幹線をつくった男島秀雄物語
高橋 団吉著
小学館 (2000.5)
通常2-3日以内に発送します。

*1:ちなみに当時の「気まぐれコンセプト」には、光より速い「業界のウワサ」に違いないとあった。

*2:いま考えると実に昭和的な違和感だ。

*3:「すべて」は言いすぎかも。「銀河」はどうなるんだ。

*4:阿川さんの予測が当たらなかった一番の原因は、島秀雄さんがプロデューサーだったことだ。逆に島さんでなかったらどうなっていたことか。