コールスロー

世界というジグソーパズルの1ピース

通勤電車のなかで妖怪を見たこと

去年のいまごろ、帰りのむしあつい電車で読書中、妙なものを見た。
前にすわる男の舌が長いのだ。あごの下まである。それを口から出し、ひらひらさせている。
本のむこうに見えるその男のせいで、読書どころではなくなったのだが、直視するのもなんだかコワイ。視野の隅にとらえ観察していると、今度は舌を扇風機のように回しはじめた。すごい速度だ。と思うとしばらく休み、十秒ぐらいするとまた回す、そんなことをあきもせずくりかえしている。
わたしは吊革をにぎりしめ、立ちすくんでいた。
まわりの乗客はまだ気づいていないようだ。このままそっと電車をおりよう。
読んでもいない本の同じページに十数分目をおとしていたが、降車直前に意を決し、男の顔を確認することにした。
本をずらし、さっと視線をすべらせる。普通の人間だった。舌をしまったのか。拍子ぬけして読書にもどると、なんとまた舌を出していた。
そこで気がついた。ひらひらしていたのは、わたしの本についている茶色いしおりの紐だ。それが男の顔にかさなり舌となったのだ。
これはオチではない。
わたしは今でも妖怪を見たのだと思っている。